他人との距離というか乖離というか「ちがい」を認識してしまうと死にそうになるんだけど分かるか?音楽でもあっ遠くにいる!と思うと寂しいやら心細いやらで死にそうになるからできるだけ近くに来てくれる音楽を好んで聴いてる。シロップ16gやpeopleintheboxを最近よく聴いてるけどかなり距離を取ってくる音楽であることに気付いた。やめてくれ!!近くになにもない。やめてくれ!!!ジェリーリーファントムはかなり近いところまで来てくれている気がするけど気のせいかもしれない、こういうのある時突然目が覚めたように気付くから怖い。ある時急に周りに誰もなにもいないことに気付いてあまりの孤独に愕然とする。殺してクレ〜〜。

肉体としての自分は完全に発達障害者なんだけど、どこかに健常者の自分が居て、発達障害丸出しの言動をとる自分を不気味に思いながらひどく冷静に観察している人間がいる。それが怖くて辛い。

生きられないかもしれないな。

 

自分はやっぱり自ら生きるのをやめることを選ぶかもしれない。

 

フェスなんていう楽しい場で、あんなにいいライブをたくさん見ておきながらそんなことを思うのもおかしいけど、強い日差しが容赦無く降り注ぐSOUND OF FORESTでザゼンボーイズの演奏を生で聴きながら、確かにそう感じた。

 

人一倍感受性が強く、良くも悪くも繊細で、うまく生きるだけの鈍感さがないくせに、平気で人を傷付ける、自分の作った頑丈すぎる殻の中で育ちすぎた自意識とこれ以上生きていける自信が全くなくなった。

どう考えても他人と生きていける人間じゃない。実際、もう無理だと思った。

 

だからこそに、破裂音の朝のあの美しすぎるメロディーと、自問自答で向井秀徳が歌った「俺のような孤独主義者のつまらんさや」という言葉が異様に胸に響いて、少し泣けてしまった。

 

自分は音楽が好きだ。

出会えて良かったと思う音楽もいくつもある。

けどやっぱり、ただの「音楽が好きな人」では生きてはいけないと思った。

自分で音楽を作ることもなく、ただただ向こう側に生きる人々の格好のいい音楽を受け取るだけの人間で、それだけを救いとして生きていくのはかなり難しいと思った。

 

 

 

破裂音の朝

破裂音の朝

 

食べても食べても腹が減る。ピアニッシモは切り刻んでしまったしハイライトは海に置いてきてしまった。マールボロは吸ったことがない。ハンバーグが食べたいな、なんて少し思った。ひとに言ったら笑われそうだから言わない。俺はもういい大人だから。うまくもないウィンストンに火をつける。呼吸とかわらない煙を吸っても確実に肺は汚れるし血管は硬くなる。好きでもないタバコと生きたくもない人生を交換している。この一本で俺の人生はどのくらい縮んだんだろう。数秒か数分か。もしかしたらその数秒か数分で孫の顔が見れたかもしれない。飛行機が飛ぶ瞬間を体験できたかもしれないし猫と会話ができるようになったかもしれない。

ぼくが死ぬのはいつのことだろう。60年後かもしれないし明日かもしれない。いつ死んでも後悔しないように好きなタバコくらい好きな時に吸おう。あとあの娘に連絡をしよう。抱きしめたいよと言ったら笑うだろうな。不安の病気は治ったかい。二人でまたはちみつをとりに行こう。君の作るうまくもないジンジャークッキーが食べたいよ。

 

食べても食べても腹が減るんだ。